Chapter 2. メンヘラプチ起業実践会の代表について

「メンヘラプチ起業実践会代表のShihpin Lin(林士斌)ってだれ?」と思いの方へ…

東京に拠点を置く士林翻訳サービスの主任翻訳者(英和、和英:http://is.shihp.in)でありメンヘラ起業実践会代表、ライター業にも進出中であるところの私自身に関して駆け足で時系列にてお伝えしたい。

話は40年前まで遡る。

台湾からの留学生であった父が東大の院生だったため1975年の8月東京の文京区でShihpinは産声を上げた。小学在学中は都内武蔵野市の市立小学校に通学していたが、当時は家族のだれも私がメンヘラ系(躁うつ病、アスペルガー、統合失調症など)の病気になるとは夢にも思っていませんでした。

15歳ごろになって、某中堅中高一貫校での勉強が退屈すぎたりあるいはその他の事情で行かなくなったのを期に、半強制的な親のすすめで渡米した。John F. Kennedy高校(ロスアンジェルス北部郊外の公立高校)の10th Grader (日本で言えば高校一年)の生徒として編入。ちなみにアメリカに住む父の友人の親戚であるElizabeth Yean(故人)という台湾女性が保護者(guardian)になってくれたおかげで、米国の公立の学校に行くのが可能となったのです。

このLA郊外にあるJohn F, Kennedy高校を3年ほどで卒業し、高校クラスでの3.0GPA(成績、平均で5段階で4程度の成績)とSAT(注:アメリカのセンター試験)の日本と比較すると易しい数学で満点を取って、英語ボキャブラリーが不足だったもののトータルのSATスコアで必要な点数を取得し、南カリフォルニア大学にaccepted(合格)しました。

入学後ですが、南カリフォルニア大に入学した僕を待っていたのは、頑張ってもクラスで高い評価を得られない苦労。やはり大学入学時点で英語力は若干不足だったので、いろんな科目で苦労した覚えがあります。数年前に成績証明書(transcript)を取得したら取れた単位の累計の平均はGPA3.0を切っていたように覚えています。

学業のストレスと人間関係での若干のトラブルから鬱の症状を感じ始め、キャンパス内の病院を訪ねるとリチアムという薬を処方されました。相性が悪くあまり飲まなかった記憶があります。結果私は大学在学中22歳ごろ妄想がひどくなり統合失調症と診断され、そのままアメリカの精神病院の閉鎖病棟に送られました。その後も日本で複数回入院、自殺未遂等、紆余曲折で若いころの貴重な時間は過ぎてしまって帰ってこない。

と言っても、神は全く役立たずの人間は作らないのでしょう。留学経験を生かして英和や和英の翻訳ができる。さまざまな所で翻訳してきたし(MotorolaやPanasonic、ホンダでのプロジェクトやiPhoneアプリなど枚挙にいとまがない。訳出した英和の分量だって当時でも累計数十万ワードは下らない)。

そういうわけで翻訳スタッフとしてある障害者雇用をする企業に、移行訓練期間を経ていわゆるA型社員として入社。ここで、種々の翻訳をやらせていただいたので、後の翻訳専業になる布石はここで打つことが出来ました。ただし、ある理由から精神科病棟に再入院し、復帰したら翻訳の仕事はなく、エクセルデータの更新やコールセンターの受信業務などで、特に電話の受信が苦手な私はとうとう会社に行かないようになった。そして数週間後、父親と所長のBさんと僕で、その会社のオフィスで三者面談をおこなった。

僕と向かい合ったB所長は僕と父を前にして「仕事は選べません、(こちらの言うとおりにやっていただきます)」と正面から言いました。…「自分の意志に関係なく、やれと言われたことはやらなければいけないのか??仕事を選ぶ余地はなく、ただ言われたとおりやれと??」…自分の頭の中で何かがパチンとはじけました。そして自分の中で腹が決まり、「では退職しましょう」というふうに傾き、そのようにその場で伝えました。同席した僕の父は「復職出来ますよね?ね?」と真剣に聞いていた。障害者雇用を大義としてやっている会社から障害者が自分の一存で去るのは正気の沙汰ではない、父はそう思ったのだろう。

辞めてすぐ吉祥寺の実家を出て江戸川にほど近い千葉の妙典にある外国人向けシェアハウスを借りた。家賃三万円ちょいであと光熱費などの公共料金は住んでる人数で毎月頭割りする。各自個室があるが、シャワーとキッチンは共同。キッチンには鍋やらフライパンやら包丁やら電子レンジや冷蔵庫や炊飯器などなど生活に必要なほぼ全てを備えていた。住人の中にはガーナ人の黒人、ベトナム人女子、カナダから来た英語講師、そしてコンビニのフランチャイズではなく本社で働くネパール人男、そして僕など、多い時で5人がいた。





このシェアハウスは各自の部屋に椅子と机を備えており、僕は「雌伏十年」のつもりでここを仕事の環境、SOHOのようなものと位置付けた。(一年で退去したが(笑))気分によっては近くのドトールに行くこともよくあった。ここから本当の意味のメンヘラプチ起業が始まったのだ。

親から原則お金を貰わず、かつ就職しろとか夜は寝ろとかの余計な雑音が少ない形で一年程度をここで過ごしたのは非常に良かった。

2015年冬現時点で僕の「メンヘラプチ起業」起業から3年弱経った。

まず、私は2015年の11月に台湾台北の信義区での一ヶ月間の海外滞在を含め、起業してから4回台湾に行ってます。特に2015年の5月と11月は、海外でもPCとネットがあれば翻訳出来るという事を生かして、仕事をしながらの滞在期間を丸1ヶ月取っています。いわゆる「デジタルノマド」というもの。会社員をやっていた時とは比較にならないレベルの自由度を楽しんでいます。深夜まで起きてて、翌朝昼過ぎまで爆睡ということはザラです。ただしアポがあるときは時間厳守を守っています。

親しい友人や親に美味しいものをごちそうしたり、不測の事態に対応するための余剰資金等も十分にあるようになりました。

海外に行くことも気軽に出来るし、実際に2016年はニューヨークでの滞在も控えています。

 

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私は筋金入りのメンヘラです。それに大学4年まで履修しましたが学士をもらってません。
そんな私でもここまでやれたんです!

…そもそも私は特別な人間ではありません。自分の場合は英語のスキルを持っていて、本が好きだっただけです。あなたという別の人間にも、あなたが兼ね備えたメンヘルプチ起業の核となる「何か」があるはずです。漫画を何時間読んでいても飽きない?(僕の弟は漫画好きが昂じて出版社で漫画の編集をやっています。)特殊な音楽が好き?何か特技を持っている?何で起業できるか分かったものではありませんよ(始め方についてはChapter6を参照)。

そもそも、メンヘラは世の中の日陰者であるべきなのでしょうか?これだけ精神医療が進歩し、ジプレキサ、リスパダール、エビリファイなどの副作用の低い向精神薬も揃ってきているのに…ヨーロッパの方には精神病院を全廃した国さえもあると聞きます。